桑島俊彦理事長 |
今月8日、 桑島 ( くわじま ) 俊彦 ( としひこ ) ( 67 )は、朝から落ち着かなかった。午前中の参議院本会議で「地域商店街活性化法」が採決されるからだ。
全国の商店街をたばねる連合会の理事長として、桑島は永田町で力説してきた。「法案に賛成してください。シャッター通りのままにしていいんですか。力を貸してください」
子育て相談室をつくる。高齢者への宅配サービスを始める。まちおこしイベントをする。この法案は、そんな商店街の取り組みを支援する仕組みだ。
すべての国会議員に認めてほしかった。だから、桑島は与野党を問わず、議員たちに熱く語ってきた。衆院では、全会一致で可決していた。参院でも全員賛成して、と願っていた。
眠らない街、新宿から京王線で 14 分いくと、千歳烏山駅。その駅前通り商店街にある薬と化粧品の店が、桑島の本業である。 20 歳で社長になった。
商店街活動にのめり込むきっかけは、 65 年、近所に大型スーパーができたこと。すでに新宿に客をとられているのに、さらに難敵がきた、どうしよう。考えた末、買い物をすればポイントがたまるサービスを始めた。効果てきめん、もうかった。
桑島はいろいろな人にポイントをあげた。ゴミ拾いに参加してくれた人に、商店街に設けた相談所にきたお年寄りにも・・・・。アイデアと行動力が高く評価され、 03 年に商店街連合会のトップに。全国を回ると、悲痛な声ばかりが聞こえた。「シャッター通りになって治安も悪くなった」「灯が消えたようだ」
いま何とかしないと。桑島はあせった。昨年 7 月下旬、中小企業庁長官になったばかりの 長谷川 ( はせがわ ) 栄一 ( えいいち ) ( 57 )を訪ねた。古くからの付き合いだが、就任祝いもそこそこに、桑島は延々と訴えた。「私たちが福祉やまちおこしを担いたい」。長谷川は黙って聞くだけだった。
1 ヶ月後、桑島の携帯電話が鳴る。長谷川からだった。「本当にコミュニティーを担う覚悟がありますか」。もちろん、と桑島。法律づくりが始まった。
落ち着かなかったあの日。親しい国会議員から、参院でも全会一致で可決されましたよ、と連絡をうけた。桑島は思った。「商店街がまちおこしの拠点になる。この法律は、私たちのそんな宣言なんだ」
加藤博さん |
桑島が地域との密着ぶりで注目する 2 人がいる。 1 人は、青森市の目抜き通り、新町商店街の 加藤 ( かとう ) 博 ( ひろし ) ( 60 )。元大手スーパーの社員、いわば商店街の敵側にいた男である。もっとも、当時の加藤にとっての敵は、ライバル大型店。商店街は、はなから眼中になかった。
34 歳で店長になった。でも、本社のあれを売れ、これを売れ、という指示には背けない。 37 歳のとき、「自由に商売がしたい」と新町商店街に 20 坪の婦人服専門店を出した。
青函連絡船の廃止や大型店の進出で人通りが激減した。どんな商店街をめざすか、やる気のある若手と議論をかさねる。加藤は思い出した何も買わず店員と楽しそうに話して帰っていくおばあちゃんがいたっけ。「高齢化社会の今こそふれあい、ぬくもりがある僕らの出番だ!」
歩幅を広げた。電動スクーターを貸し出し、買った商品の宅配サービスも始める。目指すのは「福祉対応型商店街」。視察が後を絶たない。
竹本慶三さんは、商店街に
ミニFM局もつくった
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もうひとりが、長崎県佐世保市、四ケ町商店街でカバン店をいとなむ 竹本慶三 ( たけもとけいぞう ) ( 59 )。イベントづくりの異才である。秋は、よさこいソーラン節を踊る祭り、クリスマスには 100 万個のイルミネーション・・・。「 20 万都市で日本一元気な商店街」と呼ばれる。
「今年ばかりは苦しか」。竹本がため息をつく。百年に一度といわれる経済危機で、 8 軒が店を閉めた。「もっと地域に根を張ってあがき続けるしかありません」 |